愛車(2)
レインボー・ラインのマッハV、直線をもまっすぐ走らない(走れない)。
最初は街中をギャンギャンと走っていた。
例の’お○わり君’と、何かとヤイヤイやりとりしながら、である。
当時、暴走族(狂走族、の時代ではない)というものが世間で言われていたが、組長は「俺ゃー、暴走族ではないよ!!」と言っていた。
が、今考えると同じだな。
そのうち、コーナーを’回る’のが楽しくなってきた。
近くでは’朝×奈’、ちょっと足を伸ばすと’箱○’さらには’奥◇摩’である。
(組長は、そういった意味では恵まれた環境にあった????)
しかしながら’じゃじゃ馬マッハ’である。
よく、転んだ。
包帯が取れる日が無かったように覚えている。
が、不思議と’骨折’まではいかない。
擦過傷まで・・・・なのである。
最後の大転倒を除いては・・・・。
それは6月中旬の出来事で、梅雨に入りかけの晴れた日の午後である。
いつもの様に’朝×奈’に出かけた。
当時、横横道路などは完成していない。
16号か鎌△街道、あるいは1号線で行くしかない。
その時は鎌△街道をモタモタっと走り、朝×奈に入った。
朝×奈は、箱○ほどの距離(コース長?)があるわけではない。
距離は短いのだが近くにあり、組長にとってはお手ごろコースなのだ。
’鎌×霊園’とか’横浜○園’とかがあり、その中を抜けていくのだが、友人に「お前、うるさくするとたたられるぞ!」と脅かされていた。
その日も、8kmくらいを2往復ほど走り、燃料も無くなって来たので「あと、一回はしったら帰ろっと」と走り出してコーナーに入っていった。
4つ目の右ターンに入っていった時、いきなり転倒だ(らしい??記憶が無い!!のである)。
ガードレールにゴッチンコ!!
傷としては例によって擦過傷のみである。
が、頭をしこたまガードレールに押し付けたらしい。(走り仲間の話)
マッハVは走行不能になってしまったので、走り仲間の一人が組長の自宅まで乗っけて行ってくれた。(らしい)
転倒直前より後の記憶が無いのである。
2週間くらいの間、寝るしめしは食うし、とにかく普通の生活をするにはする、のだが’全然、口を利かない’状態だったらしい。
7月に入ってから普通に戻ってきたようだ。
親達は病院にも連れて行ったが’原因’は分からなかったので、その時は’正直、あきらめた’そうだ。
組長の意識としては’寝起きのぼーっとした’感覚が2日くらいあり、その後正常?に戻ったイメージだった。
頭を強打しているので、そのうちいきなり’ぼーっと’なるかもしれない。
その時は、皆さん宜しくお願いします。
マッハはというと、走り仲間が自宅まで運んできてはくれたが、フレームが逝っていたので’廃車’となってしまった。
その後の愛車はホ○ダ・モ◇キーであった。
こちらは、巷で’ミニ・バイク・レース’なるものが流行りだしていた時で、各ショップからチューニング・キットが販売されていて、’カブ’のノウハウもあったので、いじくるだけいじくった。
スピードメーターが50km/hまでしかなく、友人のZ2との並走で測ったのだが120km/h近くは出た。
大型バイクにはその後は縁が無く、4輪の世界に入っていったのである。
最近「ちょっとだけ乗りたい」と三河の両ちゃんに言ったら「やめなさい、歳なんだから」と言われてしまった。
まあ、今度こそ’骨折’出来そうであり、’骨折したらくっつきにくい’とも思うので’やめておくか!’・・・。
2004年8月15日